皆さんこんにちは!
今日は、一人の女性の生き方から人生をみていきたいと思う。
人生の師父 安岡正篤先生が著した『百朝集』という個人の詩歌、文章を100厳選して解説を加えたコンパクト本(縦15センチ×横11センチ×厚さ1センチ)がある。
2002年当時、私たち夫婦は、これを素読しながら人生の糧としていた。難しい内容の箇所もあったが、実にどの箇所も心に響き、勇気づけられる内容であった。
『百朝集』三九 眞の幸不幸の項には、亡き妻の書き込みがある。まずは、その項の内容を紹介しよう。
或る人問ふ、人患難に遭ふ、これ不幸なる事か。曰く、患難は亦これ事を經ざる人の良藥なり。心を明らかにし、性を錬り、變に通じ、權に達する、正に此の處に在って力を得。人生最も不幸なる處は、これ偶々一失言して禍及ばず。偶々一失謀して事倖成し、偶々一恣行して小利を獲ることなり。後乃ち視て故常となし、恬として意と爲さず。則ち行を敗り檢を喪ふこととこれより大なる患なし。
金蘭生(格言聯壁)
(注)
事:未経験者、世の経験を積んでいないもの。
權:秤の分銅。転じて事宜を正しくはかること。
偶々:たまたま
事倖成:僥倖(ぎょうこう)に成功すること。
恣:し
故常:つね
恬:てん
敗:やぶ
檢:しらべる、しめくくり。喪:うしな
口語訳
ある人が、「心配ごとや災難に逢うのは不幸な事ですか」と尋ねたところ、「艱難は世の経験を積んでおらぬ者に対する良薬である。心を明らかにして、奥深い本性を練り、色々な変化に応じて事を正しく図り得るのは、色々な艱難にあって実力が養われるからである。 人生に於ける最大の不幸は、失言をしても運がよかったために失敗や禍が身に及ばなかったり、また考え違いをしても偶然にうまく事が運んで成功したり、或は我が勝手をやったのに小利を得ることである。そして、それを当たり前のように考え、世の中を甘くみると、遂に大きな失敗をして、締めくくりが出来なくなる。これが人生の最大の病である」。
仕事や⼈⽣には様々な出来事がある。しかし、⼈⽣の幸、不幸を決めるのは、その⼈に起きた出来事それ⾃体ではないということを先人の残した言葉や身近な人の生き方から教えられる。
⼈⽣の幸、不幸を決めるのは、その⼈⾃⾝がその出来事をどのように受け止めて、その出来事から何を学び、どの様な気付きやメッセージを得て、前向きに歩んでゆくかである。
亡き妻は、2001年に婦人科系の大きな手術(左卵巣摘出)をし、2002年1月に子宮癌の診断を受けた。同年3月に準広汎子宮全摘、内膜症による癒着があり、手術中に尿管完全断裂あって、カテーテルを挿入、同年4月に放射線療法(1.8×25回:45Gy)という状況であった。そして、2003年4月末に腎盂腎炎による発熱のため入院。
その入院中に読んでいた『百朝集』に書き込みがある。
「禍は、天の啓示。何かを教える為の信号である。事実は一つでも受け取り方、対処の仕方で結果は大いに違ってくる。
天の御心の中に包まれて皆ゲームをしているのかもしれない。真剣にやり直しのない自分に組まれたプログラムと真向勝負。成功の秘訣は『何に幸せを感じるか』かもしれない。一昨日より腎盂腎炎で急に入院。入院して安静にしていられることが幸せなんだと思う。」
亡き妻は、教えてくれている。
「魂を磨く・・・病気になって特に魂は磨かれ、光り輝いていのちのバトンとして手渡された。どんなに苦しくても、悲しくても『生きる』という決断をすることの大切さ。」を。
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